2010年11月27日

アレンジの方法

先程までフジテレビ系で放送されていた、松本清張原作ドラマ「球形の荒野」を観ていました。テレビドラマですが、とりあえずカテゴリは「映画感想」にしておきます。映像作品ということで。

さて。

私、このテのドラマは好きなので、よく観ています。今は連ドラよりも、こういう特別番組的なドラマを観ることのほうが多いかな。昔は連ドラもよく観たんだけどね…連ドラについて語ると長くなるのでやめときますが。あ、実は2時間ドラマもよく観ます(笑)。

いつもだったら、それでわざわざ感想を書くこともないはずなのですが、今回ばかりはどーしても納得がいかないことがありまして。

それは、このドラマの時代背景が、昭和39年、東京オリンピックの年に設定されていたことです。

原作は昭和35年から36年にかけて雑誌連載され、作品の舞台は昭和36年になっています。
たった3年の差なのですが、それで少々引っ掛かることが思い出されまして。

というのはですね。
昭和39年4月1日に、海外旅行が自由化されているのですよ。

昭和36年の時点では、いわゆる観光旅行というものにまだ規制がかかっていました。けれど、昭和39年の10月、つまりこのドラマの起きた時点では、一般人でも海外での観光旅行が自由に出来るようになっていたわけです。

ストーリーのキーパーソンである野上顕一郎は、ドラマの中ではほぼ説明されませんでしたが、おそらく戦争時代の友人の尽力により、日本に来ることができたわけですよね。それで、過去の出来事が掘り起こされ、事件が発生した…という流れになるのですが。

でも、誰もが海外旅行に行ける時代になってたのなら、本人が日本に来るよりも、妻と娘をフランスに行かせりゃ良かったんじゃないの?と思ってしまったわけですよ(笑)。どうせ外務省の伝手を頼るのは一緒だし。金銭的な問題だって、自分が行けるんだったら、ふたり分の費用ぐらい払えますよね。実際ドラマの中ではふたりで来てるわけだしさ。
そうしたら、事件も起こりようがないかと…ミステリーなのに!

というわけで、最後の父娘の涙の対面シーンも、どうも、なんだかな〜という気持ちになってしまいました。娘のほうも原作では地味な役所勤めだったようですが、ドラマではオリンピックの通訳というよくわからない仕事だし。しかもフランス語喋ってるし。海外に行っても別に困らないようだったら、何も今生の別れをここでしなくても、何年か後にフランスに父を訪ねていけばいいんじゃないの?と思ってしまったんですよ。だって、この話の事情は、父が日本に来るのがマズかったわけであって、フランスで会う分には別に障害はないわけですよね。

ドラマツルギーもへったくれもありませんがね(笑)。

私がドラマを観ながらなんだかヘンだ…考えていたのは、実は「サザエさん」(原作)に掲載されていた、長谷川町子さんの海外旅行話を思い出したからなのでした。長谷川町子さんがいつ海外旅行に出かけられたのかわからなかったのですが(ネットで調べてみましたが不明でした。原作を見るしかないかな)、私の記憶だと、確かその海外旅行が自由化されたとき…だったような気が。そんな話がオリンピック前にあったような気がしたんだよなあ。

まあね。
外務省のお役人が事件に巻き込まれた時点で、もう所轄では扱えない事件なんじゃないのかとか、よく捜査妨害が入らないなあとか、それは公安の仕事なんじゃないのかなーとか、いろいろ考えながら観てたんですけどね(笑)。これはおそらく、原作では新聞記者だったはずの添田が刑事に設定変更されていたゆえの違和感でしょう。そして…いくらなんでもスウェーデンが中立国って、知らないほうがおかしいんじゃないか、とか…(外交官が駐在したって話してるのに!)。
突っ込みどころは満載でしたが、それでも「まあドラマだしー」と思いながら観ていたんですけどね。

なんだか、納得がいかなかった。

私は1960年代にはまだ生まれていないのでわからないのですが、この10年間というのは、始まりと終わりで、ものすごい違いがあったと思うんですよ。現在の10年では考えられないような変化が。
だから、たかが3年されど3年が、大きいと思うんですよね。あくまで想像でしかないけど。

だって、年表を見るとわかりますが、60年安保や社会党の浅沼委員長が刺殺されたショッキングな事件の翌年ですよ、昭和36年。ケネディが大統領になりフルシチョフと会談し、ベルリンの壁が築かれ、ガガーリンが宇宙に行った年ですよ、昭和36年。

この年と、ビートルズが時代を博し、新幹線が開通して東京オリンピックが開催された昭和39年とを取り替えるのは、年表見てるだけでも無茶だよ…と思うんだけどなあ。

死んだはずの男が帰ってきて事件が起きるのも、昭和36年というまだ不安定だった時代だからこそ、という気もするしね。昭和39年という高度成長期驀進中な時代には、違和感のある事件だよなあ…と。

あとそうだ、もうひとつ納得がいかなかったのが、昭和39年ともなれば、話の肝である戦争中の停戦のための外交交渉の話は、世間にも流れていたんじゃないのかな…ということです。これはあくまでも私の印象だけの話なので、実際がどうだったのかはわからないのですが。

原作付きのドラマを制作するとき、まさか原作をそのまま忠実に映像化するわけにはいかないので、そこに当然アレンジが入るのは、もちろん承知しています。
ただ、今までいろいろな原作付きのドラマを観てきて思うのは、やはり原作のエッセンスを損なわずに映像化というのは、本当にデリケートで難しい作業だと、考えてしまうのです。

松本清張作品は、昨今ドラマ化されることが多いですが、けっこう時代背景を変更するパターンが多いですよね。
でもやはり、時代背景というのは大切にして欲しいと思うのです。その作品はその時代だったからこそ生まれたストーリーであるはずだから。
昔のストーリーでも、現代と通じるテーマだから時代を現代に持ってきてというのは、どうも作り手の怠慢としか思えないんですよ。だったらなぜ、新しい作品を作ろうとしないの?と。

この作品はミステリーなので、やはりあまり突っ込みどころを作って欲しくはなかったな、と。映像は美しかったし、俳優の皆さんも良かったので、話の根幹であるところが納得いかなかったのは、とても残念でした。

いろいろ書いてはきましたが、実は私、原作を読んでいないので、これから読んでみようと思っています。できたら加瀬俊一さんの解説が付いてるのがいいなあ、やっぱり(ってまだあるのかな)。
昔の映画も観てみたいなー。
でもとりあえず、感想を吐き出せてすっきりした(笑)。

まったくどうでもいいことですが、私、松本清張映像作品で一番印象に残っているのは「鬼畜」(1978年作品)です。あれは…すごい映画だった…。

それにしてもホント、原作付き、しかも歴史を扱うドラマってね。難しいよね。
タグ:球形の荒野
posted by Mikkey at 23:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画感想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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