2005年08月06日

広島・原爆の日

今日は60回目の原爆の日ということで、広島での式典を始めとして、様々な企画が行われ、テレビ番組も放送されました。

今、この日のことを知らない人が、広島だけでなく長崎や、終戦の日さえ知らない人が増えているそうで。

私も、確かに学校できちっと習った覚えはないですけど…それ以前の問題だと思っていたので、素朴に驚いてしまいました。いや何というか、普通に暮らしてればわかるんじゃないか、と。カレンダーにだって、書いてあるものもあるわけで。

しかし、それが「60年」という月日の流れなのかもしれません。

私が、「原爆」というものをリアルに感じたのは、中学生のころでした。
それ以前にも、8月6日が「原爆の日」だということは、知識はありました。「ふたりのイーダ」「はだしのゲン」は読んでいましたし。でも、「はだしのゲン」は最後までは読めなかったんですよね…雨が降ってくるあたりで、子供の私はギブアップしてしまい…(そして今に至ってしまってるんですが)。

けれど、中学生の私が出会ったのは、「はだしのゲン」を上回る衝撃でした。

そのころ、家の前に図書館があったので、本好きの私はほぼ毎日そこに通っていました。そして、自分でも変わった中学生だよなあと思うのですが、当時よく目にしていた本の中に「アサヒグラフ」の縮小版がありました。何年か前に廃刊になってしまいましたが、その時代の風景を報道した写真雑誌ですね。それが昭和2年の分からありまして、中学生の私は、自分の知らない時代が写し出されている写真たちがすごく面白く、丹念に眺めていたのです。

記憶が定かではないのですが、あれはおそらく、昭和22年ごろのものだと思います。
何の気なしにぺらっとページをめくった私の目に飛び込んできたものは、顔の上半分がつぶれてぐしゃぐしゃになった、女の人の顔写真のアップでした。髪も焼け焦げ、原型をとどめていたのは唇だけ。差し出された手は、おそらく水を求めていたのではないかと思います。
驚きのあまり本を放り出して叫びそうになりながらも、なんとかそれをこらえ、次のページをめくったのを覚えています。
その回の特集は、戦後何年かしてようやく解禁された、原爆投下直後の広島の様子でした。

それらの写真は、よく新聞に載っているような、焼け野原になった広島の風景というような、生易しいものではありませんでした。今でも覚えているのは、業火に迫られながらも動けずに固まっている被災者の人たち、焼け焦げた死体、全身をやけどした患者を懸命に治療している医師や看護婦…こうやって描写している今でも、思い出すと背中に寒気が走るほどです。

本当に写真や映像という媒体の威力は、ものすごいと思います。これを見たのが思春期だったせいもあるかもしれませんが、しばらくの間は思い出すと眠れなくなるぐらいの衝撃でした。

おそらく、私が見た写真に写っていた被害者の方は、ほぼすべての人が時置かずして亡くなられたことでしょう。中学生の私が見ても、これで生き残ることができるとは、到底思えない写真でした。そして、そのとき救助や治療に当たっていた方たちも、ほとんどの方がすでにご存命ではないかと思います。

でも、私はその人たちを忘れない。自分が目にしたものを忘れることは、できません。

毎年、テレビのニュースで式典の様子を目にしますが、今日も広島は朝からよく晴れて、記念公園の蝉の鳴き声が響いていました。私の記憶にある限り、テレビに映る8月6日の風景は、本当にいつも変わりません。60年前のこの日も、この風景だったからこそ、広島は人類最初の原爆投下場所に選ばれてしまったのだと思うと、何とも言えない感情が湧き上がってきます。

だから、せめて忘れないように。目を逸らさないように。自分が生まれていない時代でも、あの日あのとき何があったのか、それだけは誰もが知っているようになればいいなあ、と思うのです。
ラベル:広島 原爆
posted by Mikkey at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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