2010年06月15日

わずかな望みを賭けて

一昨日、私もニコ生で「はやぶさ」帰還の生中継を見ようと頑張っていたのですが、時すでに遅し、ニコ生に入れませんでした…完全に出遅れた。

しかし。
「はやぶさ」は無事に還ってきました。大気圏突入の際にそれこそ星屑になってしまいましたが、実験結果の金属カプセルをしっかりと地上に落下させて。

最初に「はやぶさ」を打ち上げたニュースを見たときに、正直そんな小惑星なんつーちっこい目標に、辿り着けるものかね?と半信半疑だったのですが…すごかったよね。見事に到着したんだもんね。

果たして「イトカワ」の地表の砂がカプセル内に取り込めているかどうかは、これからの調査で判明すると思いますが。
トラブル続きなのは当然なくらいの航行ではあったし、行って還ってくるだけでも、たいした偉業ですよ。宇宙規模からすれば、小惑星なんてそれこそ砂粒以下の小ささ。まさに砂漠でダイヤモンドを見つけるくらいのことです。

ネットの他の場所でも中継やってたけど…こういうことこそ、テレビで生中継して欲しかったよな〜。だってコレ、月に人が行って戻ったのと同じぐらいの話だよ?サイトに繋がらないっていうくらい、皆が関心を持ってた出来事だったのにね。ニコ生も20万人のアクセスだったっていうし。

カプセルはオーストラリアの平原に落ちて、すでに発見されました。これからそれを回収して、中を開けてみるのですね。

…楽しみだなあ。少しでも「イトカワ」の砂が入ってるといいですね。

ラベル:はやぶさ
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2009年07月22日

世紀の瞬間

今日は、国内では46年ぶりとなる皆既日食がありました。

昔々星愛でる姫君(笑)だった私が、事典で見ていた皆既日食の写真は、この46年前の北海道での日食でした。

そんな写真を眺めながら、皆既になったときの世界はどんな風になるんだろう?と想像を巡らせたものです。

今日、それを体験できた人がたくさんいるのですね。いいな〜。

皆既帯は雨や曇りの場所が多かったようで、それが残念でしたね。

でも、東京でも微かに部分日食が見られた場所もあったとか。ブログなどに写真が上がっているのを見ました。

私はオフィスの中に閉じ込められていたので、なんとなく暗いかな〜?と感じたくらいでしょうか。曇ってたから、その辺もよくわからなかったですね。

次の国内の日食は、2012年、金環食だそうで。ある意味金環食というのも非常に見る機会がないので、次はしっかり見てみたいですね。休みなのかしら?(笑)

新聞の記事にありましたが、皆既日食の最中に、太陽の近くに水星とプロキオンが見えたとか。

なぜ冬の星が見えるの?と不思議に感じた子供もいるかな?と思います。

都会に住んでたりすると、なかなか夜空を見上げることもないだろうし、そういう小さな疑問から、空に興味を持ってもらえたら嬉しいですね。

良い機会になったかな、と思います。
ラベル:皆既日食 日食
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2007年09月11日

6回目

あれから、6年目のこの日がやってきました。

跡地は、ビルになるそうですね。
個人的には、高層ビルなんて建てるのよくないよ…と思っています。
が、あちらの国にはあちらの事情があるのでしょう。
もうすでにひとつは落成済で、全体の完成は5年後ぐらいを目指しているとか。

その工事のため、今年は初めて式典が隣の公園に移されたとのことですね。

残された瓦礫はとうとう片付けられて、再利用のために余所の国に運ばれて行ったとか。

こうして6年間の間に、いろいろと変わっていったことがたくさんあります。

けれど今でも、現場からは残されたものが見つかるそうです。
見つかったものは研究所に集められ、誰のものかを確認しているそうです。

ほんの小さな欠片を、持ち主の元へ戻すために。
気の遠くなるような作業が、今なお、続けられているのです。

あの日あの時あの場所で起こったことは、まだ誰もが忘れちゃいないと信じたいです。




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2007年08月28日

月食

今日は、日本全国、皆既月食でしたね。

…とはいっても、東京地方はちょうどその時間、蛍光灯のように稲妻がちかちか光って空を駆け巡っており。月食どころか雨が降る前に家に辿り着かねば!と必死でした(^_^;)

駅から家までの道程は東に向かって進むので、綺麗な月を(家々の隙間から)眺めながら帰ることが多い私。昨日は十四夜の月が、雲間に隠れながらもけっこうちゃんと見えていたので、今日はかなり期待していたのですが、残念でした。ま、地上にいる限り、天気には敵いません。

テレビで、見られた地域で子供たちが目を輝かせながら観測している姿を見ましたが、こういうの、いいですね〜。夏休み最後の、いい思い出になったかな?

ホントは、都会の子供にこそ、見てもらいたいんですけどね。2等星もロクに見られない都会だと、月がいちばん身近な天体だと思うので。そういう機会でもないと、夜空を見上げるなんてことはないだろうし。

小さい頃、なぜだか急に星に興味を持ったことがあって、そのころの知識が今を支えています。以前、横浜の住宅街で車に乗ってて道に迷ったときに、時計と太陽で方角を割り出したら、友人にびっくりされたことがありました。昼間だったから太陽だけど、夜だったら北極星ですね(見えれば、の話だけどね〜。都会はね〜)。

そんなあふうに、都会に住んでても、ひょんなことで、天文の初歩的な知識は役に立つものです。今日、月食を見てた子供たちが、少しでも星に興味を持ってくれたら、ちょっと嬉しいかも。
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2007年08月09日

NAGASAKI

Though there was HIROSHIMA,why had an atom bomb to be dropped again by Nagasaki?
A thing of a, besides, different kind.

I knew this recently.

There will be that we must think more a lot.
ラベル:長崎 原爆
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2006年01月19日

ショック

一昨日仕事から戻ったら、テレビに見慣れたビルが映っておりまして。
その30分ほど後に、検察の方々がぞろぞろと入っていく様子が、一斉に映し出されました。
この玄関は例の「回転ドア」があったところ…とか、この人たち、あの自動改札のようなビルの入口をどうやって入るのかしら?などと、非常にくだらないことを考えながら、見るともなしに見ておりました。

翌日の新聞はこの事件を大々的に報じ、夕方には渋谷で東証の取引がストップしたという日経の号外をもらい、今日に至ってはなんだか世界的に「ライブドア・ショック」が駆け巡っているようで、まあこんなに大事になるとは、と半ば呆れたような気持ちです。

去年の今頃(もう少し後でしたかね)、お台場チャンネルグループに乗っ取りをかけたときのことが、何やらとっても懐かしく(苦笑)思い出されますね。その前のプロ野球参入なんて、遥か彼方昔のようですね…。

実は、私は何年か前にお台場チャンネルグループに仕事で関わったことがあり、去年の騒動については、いろいろと釈然としない気持ちを抱えておりました。そしてちょうどその頃、昨年11月6日の日記に書いたように、仕事で六本木ヒルズに出入りしており、それが差し当たりマスコミ関係の会社だったので、そういう会社の中からかつて関わった会社を見、さらにちょっかい出している人はこのフロアの何十階か上にいるという、なんとも不思議な状況だったのでした。エレベーターホールでライブドア社長を見かけたこともありましたしね。ま、どれもこれも、私個人にはまったく関係ない事柄でしたけど(笑)。

ライブドアに関しては、プロ野球参入の件でその名が広まったときから、それぞれ賛否両論、いろいろあったかと思います。今回の件に関しては、個人的には「やっぱりな…」と正直思いました。

今の日本で若い人が急成長するためには、確かに多少なりとも阿漕な方法は必要なのかもしれません(法の範囲を逸脱するのは、もちろんNGですが)。ただ、それは日常的に使う手段ではなくて、あくまでも肝心なときに使うからこそ効果があるもの。「禁じ手」ってのは、そういうものでしょう。

ライブドア社長に関しては、是でも非でもどっちでもいいですが(「金で買えないモノはある」と思ってるけどね)、この人の印象としては「待てない人」なんだな、と感じています。長く待つことができない。今すぐ手に入れられるものは、どんなに無理をしても手に入れるというタイプ。他人の庭に足を突っ込むには、それなりの準備がいるはずだと思うのですが、その時間が待てないんでしょうね。「思い立ったが吉日」という言葉もありますが、「急いては事を仕損じる」という言葉もあります。事業を大きくするには、このふたつを上手く使っていくのが肝要だと思いますが、後者ができないタイプなんでしょうね。

ともあれ、良くも悪くも話題になるこの会社。今回の事件に関しても物議を醸し出していますが、とりあえずすっきりした形で真相が明るみになるかどうか、ですね。

それにしても…実は一番情けないのは東証かもしれないなと考えてしまう、今日この頃…。
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2005年11月07日

秋の夕暮れに

昨日の昼間、歌手の本田美奈子さんが逝去されたというニュースが流れました。

今、テレビでも彼女の追悼番組をやっています。

アイドルとして歌を歌っていた本田美奈子さんが、「ミス・サイゴン」のオーディションを受け、1万人以上の難関を突破してキャスティングされたときのことは、今でも覚えています。あの年頃のアイドルの誰よりも、彼女の歌はすごかった。そして、子猫のようなきらめく瞳は、テレビという枠よりも舞台のほうが合っていると思いました。

私は結局、彼女のミュージカルを見ることはできませんでしたが、それがとても残念です。あのころも今も、いくらでも機会があるだろうと思っていたのに…これからどんな舞台を見せてくれるか、とても楽しみにしてたのに…。

秋の夕暮れに、とても寂しく、切なく、テレビで流れる彼女の歌を聴いています。
天国でも、あの綺麗な歌声でうたっているのでしょうか。
ご冥福をお祈りします。


中川翔子ちゃんのブログにトラバを貼らせていただきました。
彼がこの病気で亡くなったときも悲しかったけれど、翔子ちゃんの明るい笑顔を見ていると、本当に嬉しくなるので。
彼女がここに記してあること、私も心からそう願っています。



ラベル:本田美奈子
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2005年11月06日

人ありき

今朝の新聞に、「六本木ヒルズ」の記事が掲載されていました。

内容としては、いかに森ビルにIT長者が多いかということ、引いては今注目の企業がどれだけ入っているかということ、「六本木ヒルズ」のステイタス、そして「ヒルズ族」と呼ばれる人々の仕事ぶり、というところでしょうか。

それにしても、日本人はどーしてすぐに「〜族」という具合に名前をつけたいのかな?と思わず苦笑してしまいましたが、それは置いといて。

この「カテゴリーにまとめたがる」性質を、「IT」という言葉の元に集結させているのが、「六本木ヒルズ」の森ビルのオフィスだということなのでしょう。

今年、あれやこれやで大騒ぎした人たちは、ほぼこの森ビルのオフィスにいらっしゃるわけで、そういう意味では非常に分かりやすい場所ではあります。そしてここを目指して現在研鑽を積み重ねているITビジネス者も多いということですね。

私は去年から今年の初めにかけて、仕事で六本木ヒルズに出入りする機会がありまして、それを人に話したら、さすが時代の注目プレイスであるだけに「すっごい!」「いいな〜!」という声も頂きました。

が、しかし。私自身はいわゆる「今流行のあの街あのビルあの店」(我ながらヘタなコピーだ
)に出入りするのは別段初めてでもなかったので、どうということもありませんでした。単なる成り行きだしね。

それまでもヒルズに行ったことはなかったので、初めて訪れたときには、おのぼりさんもいいところ(笑)。だいたい私の知っている六本木というのは、某アマンド前にクロフクたむろしている時代(いつだよ…)。あのころとはまったく意味の違う「最先端」を目にして、ただただ驚くばかりでした。てゆーか、再開発後はどこがどこだかわからなくなってるし(笑)。

でも、だいたいが予想通りの場所でした。というのは、都内どこでも(日本はどこでも、かな)「今流行」系の場所は同じように「おしゃれ」(…)に出来ているし、同じように物価は高いし、同じように非人間的な場所なので。少し歩き回ると、特に何がどうということもなくなります。夜景だって見慣れてるから、珍しくもなんともない。

何はともあれ、共通するのは「人の暮らす場所じゃないよなー…」ということですね。六本木の裏側っていうのは元々住宅が多いところで、昔から住んでいらっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。ヒルズの中から、そういう普通の御宅を眺めていると、妙に安心したりして。

結局、世の中すべて人が為すことですから、根本は「人ありき」のはずなんですよね。ITしかり、経済しかり。それを忘れたら、商売をする資格はないと思います。今年の様々な騒動を見ていると、ホントにそう思う。

複合施設がもてはやされる昨今ですが、どれぐらいの範疇の視点で複合されているのか、それを見極めていく度量のほうにポイントを置くべきなんじゃないのかな?とヒルズの前にある某証券会社の看板(なのか、あれは?)の前で考えたりしたのでした。

とりあえず、その頃撮った写真をアップしてみる。
ちょっと大きいけど(笑)

050331六本木ヒルズ.JPG







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2005年08月15日

戦後60年

朝、家族と話をしていて、今更ながらに不思議だったのですが。

私の親族には、戦争に行った人がいませんでした。
祖父たちは動員はされましたが、年齢などの関係で徴兵はされなかった。
遠い親族まで思い浮かべても、兵隊になった人はいないらしいです。

そして、内地で空襲に巻き込まれて犠牲になった人も、いませんでした。
空襲で逃げ回ったことはもちろんあるそうですが、幸いなことに亡くなったりはしなかった。

どうやら世代的・地域的なことで、あの時代を生き延びることができたようです。
「戦争の犠牲」になったのは、私の曽祖父が日露戦争で亡くなったらしい、という…百年も前のことですね。

まあ、だからといって、私がまったく戦争の話を聞いたことがないわけじゃありません。
祖父や祖母からは、関東大震災の話とともに、空襲の話を聞いたことがあります。
どちらかというと、戦後の食糧難の話のほうが多かったように思います。

小さいころにそんな話を聞いていたころは、もちろん実感なんて湧きませんでした。
戦争といえば、百科事典の「歴史」の本に載っている、というくらいのものです。
恐ろしい挿絵や写真が載っているこの時代を、祖父や祖母が生きていたということすら信じられなかったものです。

それが、急に「確かにあった」時代だと感じたのは、テレビでとある映像を見たときでした。

ぎらぎらする日差しの午後。立っているだけで汗が流れてくるような雰囲気が、映像から伝わってきました。車のエンジンの音しかしない静かな中に、響き渡るセミの声。しかし、沿道に並ぶ兵隊は、じっと一点を見つめ、微動だにせず立ち尽くしていました。

最近になってアメリカで発掘された、と紹介されていたその映像は、日本が無条件降伏をしたその直後、占領軍がやってきたときに、米兵が撮影したカラー映像でした。

それまで、戦争中の映像や写真はもちろん見たことがありましたが、カラーの動画はそのときに初めて見たんだと思います。今の時代と変わることのない暑そうな夏の光は、昭和20年の夏が、すとんと私の中に落ちてきたように思えました。

以前のブログにも書きましたが、写真や映像の持つ力というのは、凄いものがあります。
撮影者の目の前で繰り広げられた現実が、そこには映し出されているからです。

歴史教育の問題がいろいろと取りざたされていますが、教科書の一文よりも、これらのものは遥かにその意味を伝えてくれるでしょう。
そして、実際に体験した人の話をも、よりリアルに感じさせてくれるでしょう。

今、外ではセミが元気よく鳴いています。
この暑い夏の平和な午後がいつまでも続くよう、鎮魂の祈りを込めて。

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2005年08月11日

あの夏を忘れない

1985年8月12日午後6時56分、あなたは何をしていましたか?

520人の犠牲者を出した日航機墜落事故から、明日で20年が経ちます。

私にとってもこの事故は、20年経った今なお、忘れることのできない出来事です。

実は私は、この事故をオンタイムでは知りませんでした。

当時、学校の夏休みを利用して、私はアメリカにホームステイの旅に出ていました。
事故を知ったのは、発生から約3日後のことでした。

今でもはっきり覚えています。
ある日の午後、ふと新聞をポストに取りに行き、英語がよくわからないながらも、日本にいるときと同じように、畳まれたそれを広げたときに、真っ先に目に飛び込んできた、「JAL」マークの翼の残骸の写真と「CLASH」の文字。その日の「USA TODAY」の一面中央に、大きくその記事はありました。

それを持って慌ててホストの元へ行くと、ホストは深刻そうに眉をひそめて「わかっちゃったのね」とつぶやきました。
事故はアメリカでももちろん報道されていて、直後にホストは日本にいる私の両親と連絡を取り、事故のことは子供には伏せておこうとしていたのです。
その1週間後、同じJALの飛行機で帰国する、私のために。

新聞記事にも目を通し、その夜にCNNで報道されたニュースも見ましたが、詳細はさっぱりわからず、事故の輪郭がようやく掴めたのは、帰国のため西海岸に移動したときでした。3日遅れの日本語ニュースで、羽田発大阪行の便だったこと、520人の犠牲者が出たこと、4人の生存者がいたこと、墜落場所が不明で明け方にようやく発見されたということを知りました。

そしてはっきりと事故を理解したのは、皮肉なことに、帰国便のJAL機内で配られた新聞紙と週刊誌によってでした。インターネットが発達している今と違い、当時は外国にいて日本のニュースを知ることは、とても大変なことだったのです。機内の乗客は誰も彼も、私のような子供からビジネスマンまで、それらを奪い合うようにして読みふけったのでした。そのころには犠牲になられた乗客の方が残された遺品の写真なども公開されていて、遺書を書いたそれと同じ袋が座席のポケットに挟まれているのを見たときには、なんとも言えない気持ちでした。自社の大事故が載せられた新聞や雑誌を配っていた機内乗務員の沈痛な表情は、今でもはっきり覚えています。

帰国したときも、日本国中がまだそのニュースで持ち切りでした。それは夏休みが終わるころまで続いていたのを、記憶しています。

* * *


私の手元に、1本のビデオがあります。
上野の東京文化会館で行われた「第4回世界バレエフェスティバル」が、NHKで放送されたときのものです。
この舞台の収録日が、1985年8月11日でした。
先日知ったのですが、「新撰組!」などでお馴染みの三谷幸喜氏が脚本を書いた「サザエさん」がオンエアされたのが、やはり1985年8月11日でした。

日曜日の夜、とある場所ではバレエが開催されたり、家庭では「サザエさん」がテレビで流されたり。
おそらくは、穏やかで和やかな夏休みの夕べを過ごしていたことでしょう。
その24時間後にこんな大事故が起こるとは、誰もが思いもせずに。

たったこれだけの間接的な体験しかしていない私ですら、20年前のことをくっきりと覚えているのです。
遺族の方々が20年経った今でも、事故を忘れることが出来ないのは、当然のことでしょう。
けれど今日のニュースでは、事故機の処分が決定しているということが流されました。
航空機のトラブルが多々発生している今、本当にそれでいいのでしょうか?
大切なものは何か、ということを、忘れてはいないのでしょうか?


改めて、この事故で犠牲になられた方のご冥福をお祈り致します。



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ラベル:航空機事故
posted by Mikkey at 22:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月09日

長崎・原爆の日

先程まで行われていた式典の様子を、テレビで見ていました。

昨日の「否決」→「解散」騒動でどうなることやら、と思っていたのですが、ちゃんと首相も出席されていましたね。

やはり世の中、これだけは忘れてはいけない、ということがあると思うので、安心しました。

ゴタゴタに巻き込まれている他の政治家たちは、こういうことをどんなふうに対応しているのか、というところに、ちょっと興味があります。

今後の選挙の、参考にもなりますしね。
ラベル:長崎 原爆
posted by Mikkey at 13:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月06日

広島・原爆の日

今日は60回目の原爆の日ということで、広島での式典を始めとして、様々な企画が行われ、テレビ番組も放送されました。

今、この日のことを知らない人が、広島だけでなく長崎や、終戦の日さえ知らない人が増えているそうで。

私も、確かに学校できちっと習った覚えはないですけど…それ以前の問題だと思っていたので、素朴に驚いてしまいました。いや何というか、普通に暮らしてればわかるんじゃないか、と。カレンダーにだって、書いてあるものもあるわけで。

しかし、それが「60年」という月日の流れなのかもしれません。

私が、「原爆」というものをリアルに感じたのは、中学生のころでした。
それ以前にも、8月6日が「原爆の日」だということは、知識はありました。「ふたりのイーダ」「はだしのゲン」は読んでいましたし。でも、「はだしのゲン」は最後までは読めなかったんですよね…雨が降ってくるあたりで、子供の私はギブアップしてしまい…(そして今に至ってしまってるんですが)。

けれど、中学生の私が出会ったのは、「はだしのゲン」を上回る衝撃でした。

そのころ、家の前に図書館があったので、本好きの私はほぼ毎日そこに通っていました。そして、自分でも変わった中学生だよなあと思うのですが、当時よく目にしていた本の中に「アサヒグラフ」の縮小版がありました。何年か前に廃刊になってしまいましたが、その時代の風景を報道した写真雑誌ですね。それが昭和2年の分からありまして、中学生の私は、自分の知らない時代が写し出されている写真たちがすごく面白く、丹念に眺めていたのです。

記憶が定かではないのですが、あれはおそらく、昭和22年ごろのものだと思います。
何の気なしにぺらっとページをめくった私の目に飛び込んできたものは、顔の上半分がつぶれてぐしゃぐしゃになった、女の人の顔写真のアップでした。髪も焼け焦げ、原型をとどめていたのは唇だけ。差し出された手は、おそらく水を求めていたのではないかと思います。
驚きのあまり本を放り出して叫びそうになりながらも、なんとかそれをこらえ、次のページをめくったのを覚えています。
その回の特集は、戦後何年かしてようやく解禁された、原爆投下直後の広島の様子でした。

それらの写真は、よく新聞に載っているような、焼け野原になった広島の風景というような、生易しいものではありませんでした。今でも覚えているのは、業火に迫られながらも動けずに固まっている被災者の人たち、焼け焦げた死体、全身をやけどした患者を懸命に治療している医師や看護婦…こうやって描写している今でも、思い出すと背中に寒気が走るほどです。

本当に写真や映像という媒体の威力は、ものすごいと思います。これを見たのが思春期だったせいもあるかもしれませんが、しばらくの間は思い出すと眠れなくなるぐらいの衝撃でした。

おそらく、私が見た写真に写っていた被害者の方は、ほぼすべての人が時置かずして亡くなられたことでしょう。中学生の私が見ても、これで生き残ることができるとは、到底思えない写真でした。そして、そのとき救助や治療に当たっていた方たちも、ほとんどの方がすでにご存命ではないかと思います。

でも、私はその人たちを忘れない。自分が目にしたものを忘れることは、できません。

毎年、テレビのニュースで式典の様子を目にしますが、今日も広島は朝からよく晴れて、記念公園の蝉の鳴き声が響いていました。私の記憶にある限り、テレビに映る8月6日の風景は、本当にいつも変わりません。60年前のこの日も、この風景だったからこそ、広島は人類最初の原爆投下場所に選ばれてしまったのだと思うと、何とも言えない感情が湧き上がってきます。

だから、せめて忘れないように。目を逸らさないように。自分が生まれていない時代でも、あの日あのとき何があったのか、それだけは誰もが知っているようになればいいなあ、と思うのです。
ラベル:広島 原爆
posted by Mikkey at 23:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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